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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

旅・夢風景

片山修が旅について語る。
日本各地の写真とコラムによる「旅夢風景」

仙台 杜の都仙台 伊達藩六十二万石 歴史と文化を辿る

sendai4 奥州は近い。


 東北新幹線「やまびこ」に乗って、東京駅からわずか2時間弱で、仙台に到着した。
 名所旧跡巡りは後回し。食い意地の張った中高年男3人組が、花より団子とばかりに、向かった先が懐石料理「東洋館」だ。明治40年に創業された割烹料理店である。土井晩翠、阿部次郎など、文人が愛した店である。
 仙台駅から、市街地を走り抜け、広瀬川を渡って、丘陵地の向山に登っていく。レンタカーで、駅からおよそ15分ばかり。はやる気持ちを抑えながら、古い木造建築の「東洋館」に着いたのである。
下足番のお爺さんに靴を預け、若いおねえさんに迎えられて、廊下を進む。その廊下が板張りではなく、畳敷きで、しかも延々と奥に続く。「ウーン、さすが、62万石の伊達藩は違うわい」「文化の厚みがありますな」などと、中高年男たちは感心する。ついでながら、仙台近辺では、どこへ行っても、物語に伊達藩、なかんずく藩祖伊達政宗がやたら登場することを覚悟しておかなければいけない。たとえば、「東洋館」の隣は、政宗の御廟の瑞鳳殿である。
 部屋がまた、見事の一言。3部屋ぶち抜きの20畳の日本間。その一画に、緋毛氈がしかれ、黒いテーブルと椅子が並べられている。幕末か明治初頭にタイムスリップした印象。高台にある部屋からは、竹林越しに仙台市内が一望できる。そして、眼下に仙台のシンボル広瀬川がゆったりと流れる。
「私どもの初代は、伊達藩の藩士でしたが、明治時代に失業し、日本料理屋を始めたのです。この地は、伊達藩政の頃、建立された大蔵寺の境内だったと聞いています」

sendai5 そう語る、5代目のご主人の千田惠一さんは、「あの遠くに見える松並木。あれが、奥州街道」と、指差す。「参勤交代のときには、藩士たちが並んで江戸に向かっていったんですね」と、あたかも参勤交代を眼前に見るかのごとく解説するのだ。

 料理も、じつに手が込んでいる。懐石をいただいたが、先付、前菜、吸椀、造り、鉢物、煮物、揚物……。鮎、早松茸、鮪、帆立貝、蛸、雲丹、そしてキャビア。こう、いただいた食材を書き連ねるだけで、今も、舌は千千に乱れ、もつれ、痺れる。中高年トリオたちは大いに感激、泣きながら食べましたな、ハイ。

歴史を伝える
日本最古の洋バラ絵


sendai8 豪華に腹ごしらえを済ますと、一路、ああ松島へ。

 伊達家の菩提寺である瑞巌寺に足を運ぶ。老杉、洞窟遺跡、大伽藍、極彩色の襖。本堂、庫裏、回廊は国宝だ。
 芭蕉も、この瑞巌寺を訪ねている。そういえば、境内には、芭蕉碑がある。「芭蕉が座った像もあったよね」と、同行の中高年の一人。「えっ、そんなのあったかな、記憶にない」と、他の中高年たち。ありました。なんと、みやげ物屋の店頭に、旅姿の芭蕉さんが腰をかけていました。
 すぐ隣の円通院は、二代目藩主忠宗の次男光宗の菩提寺である。ここの御霊屋にある厨子の右扉内部には、支倉常長ヨーロッパから持ち帰ったバラが描かれている。日本最古の洋バラの絵として有名なものだという。
 松島島巡りでは、「龍鵬」に乗る。企画展「にっぽん全国おもしろ観光船」で第1位を受賞したスグレもの。
sendai9船首は龍頭で、船体が香港風の極彩色。スピーカーから流れる説明は、またしても政宗だ。島というより、二つの奇岩から青松の枝がのびる千貫島。正宗がお気に入りの島で、何でも舟遊びの際、「この島を余の館に運ぶ者あらば、銭千貫をつかわす」といったところから名がついたという。松島湾の海面には、カキの養殖筏があちこちに浮いている。が、残念無念、カキは季節はずれ。食いしん坊の中高年たちは、のどをならすだけである。

 松島から一時間ほどで、塩釜港に入る。

秋保大滝の迫力に
身も心も蘇生


sendai2 仙台からレンタカーで、およそ40分、秋保温泉に。有馬、道後とともに日本三大古湯の一つである。古墳時代から「名取の御湯」として知られてきた。「佐勘」は、伝承千年の宿だ。「政宗はじめ歴代の伊達藩主は、領内を巡視し、鷹狩や川猟で疲れた体を、館主の佐藤家に命じてつくらせた湯殿で癒したそうです」と、「佐勘」営業部の間禎子さん。

 眼下の名取川の清流を見やりながら、露天風呂につかっていると、政宗とはいかないが、何やら殿様気分になってくる。
 秋保温泉から7キロの秋保大滝は、大迫力だ。幅6メートル、高さ55メートルの瀑布は、見るものを圧倒しないではおかない。「日本の滝百選」の一つというのはうなずける話である。

sendai1 滝壷に下りる。日頃、体を鍛えていない、文字通りの“中古年”には、垂直かと思えるほど急な坂道、また階段。下りること、およそ50メートル。青息吐息もいいところで、もう、いけません。

 でも、見上げる神々しいまでの滝の姿、爆音。流れ落ちた滝は、崖に向かって、猛烈に霧を吹き上げる。緑濃い保安林。霊気がある。確かに、山の神、滝の神がいる。いやあ、“中古年”は、身も心も一気に蘇生しましたな。
 蘇生して、このあと、駆け込んだのが、瀑上の不動茶屋。目的は、店で働く、アルバイトの若くて、可愛いお嬢さんたちである。女神に微笑んでもらって、今一度、元気になりました。

小学館『週刊ポスト』 2003年10月24日号 掲載

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