昨日、ホンダが長年開発を続けてきた小型ビジネスジェット機「ホンダジェット」が、初めて日本の空にお目見えしました。
86年に開発に着手して以来、30年近い時を経て、ホンダジェットがいよいよ発売されるのは、大きなステップに違いありません。しかし、ホンダはこれから、航空機事業を、二輪、四輪、汎用に続く「第四の柱」に育てあげなくてはいけません。これは、そう簡単なことではない。ホンダジェットは無事に離陸しそうですが、安定飛行に入るまでは、まだ気を抜くことはできません。
例えば、ジェット機のビジネスは、メンテナンスのビジネスといわれます。故障対応や部品の交換、保守・保全を行って、収益をあげていかなくてはいけない。少なくとも、世界で、単体のエンジンの販売も含めて3000機を売らなければ、成り立たないといわれています。
450万ドル(約5億4000万円)の「ホンダジェット」は、すでに欧米から100機以上の受注があります。ホンダは、17年には年間最大100機を生産しますが、100機や200機では、ビジネスとしてはお話にならない。今後、毎年コンスタントに機体を売り続けていかなくてはいけません。息の長いビジネスです。
そして、もう一つ問題は、「ホンダジェット」に続く、第二弾を開発するのかどうか。これは、大きな決断です。昨日、航空事業子会社のホンダ・エアクラフト・カンパニー社長の藤野道格さんは、会見の席上、次期モデルについて質問を受け、「隣に上司が座っているので、あまりいえません」としながら、「航空機事業をはじめた以上は、なんとかやっていきたい」と答えました。
藤野さんは、当然、次期モデルの開発をやりたいでしょう。技術者とは、そういうものですよね。しかし、ジェット機の開発は、とてつもなく大きな投資です。その判断は、社長以外の誰にもできません。
そもそも、06年3月、「ホンダジェット」の事業化を決断したのは、前社長の福井威夫さんです。藤野さんは、福井さんのもとに、何度も事業プランを説明しにきたといいます。しかし、福井さんは、なかなか「ウン」とはいわなかった。いよいよ決断のとき、福井さんは、藤野さんの話を聞いた後、3~5分も沈黙し、「これでいくか」と答えたといいます。
「ホンダジェット」の事業化は、それほど重い決断だった。第2弾の開発を続けるか否かも、今後の航空事業の方向性を決める、大きな決断です。
「ホンダジェット」のお披露目に、空の上の宗一郎は、さぞ喜んでいることでしょう。しかし、ホンダが航空機事業で「成功した」といえるのは、まだずっと先のことです。ホンダの航空機ビジネスへの挑戦は、じつは、これから始まろうとしています。