この7月、久しぶりにサントリーの山崎蒸溜所を訪ねるチャンスがありました。以下、少し長いですが、連載でレポートします。
国産ウイスキーが海外で高く評価されるようになったのは、2000年に入ってからです。サントリー「山崎12年」は03年、国際的品評会「インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ」で日本のウイスキーとして初の「金賞」を受賞。そして、「響21年」は、今年も4年連続、通算4回目となる最高賞「トロフィー」を受賞しました。
京都郊外、JR山崎駅から徒歩10分、踏切をわたって山崎蒸溜所に足を踏み入れると、背後には標高270メートルの天王山が迫ってきます。敷地内には、竹林があり、いつ訪ねても、まるで別世界のような静寂さです。
出迎えてくれたのは、サントリースピリッツ株式会社ウイスキー・輸入酒部スペシャリストの佐々木太一さん。驚くほど、背が高い。
「自己紹介をさせていただきます。私、身長が2メートル近くあるんですけれども……」と、口火をきった佐々木さんは、大学時代にバレーボールの全日本メンバーに選ばれたといいます。どうりで……と納得。サントリーに入社したのが、1994年だといいます。
佐々木さんは、酒類の営業部門の仕事を担当する一方で、サントリーバレーボール部「サントリーサンバーズ」に所属し、日本代表としても、ワールドリーグ、アジア大会、世界選手権、ワールドカップなどで活躍しました。
ポジションはアタッカーで、スパイク決定率は、Vリーグで日本人単年記録ナンバー1。2005年に引退、サントリー大阪支社のプレミアム営業部に配属になりました。
しかし、バレーボールで日本代表までのぼりつめた佐々木さんのことですから、単にお酒を説明して売り歩くだけでは満足できなかったのでしょう。
転機は、2007年、ウイスキー啓発を目的とする社内資格「ウイスキーアンバサダー」の立ち上げです。上司にすすめられて、研修を受けることにした佐々木さんは、初めて山崎蒸溜所を訪れ、ウイスキーの奥深さに触れたのです。
「もう、ガーンと頭を打たれた思いでしたよ。それまで、ウイスキーは飲むだけのものだと思っていましたからね。山崎にきて勉強するうちに、それだけではないことがよくわかりました」
佐々木さんは2007年、第一期生として「ウイスキーアンバサダー」の資格を取得しました。その後、本業の営業活動をしつつ、社内外でウイスキーの啓発活動を展開するようになりました。
ある日、バーテンダーとの会話をきっかけに、ウイスキーのことをもっと知りたいと思うようになったんですね。
佐々木さんは、ウイスキー評論家の土屋守氏が設立した民間のウイスキー愛好家団体「スコッチ文化研究所」(現・ウイスキー文化研究所)認定の資格試験があることを知り、ウイスキーエキスパート、ウイスキープロフェッショナルに続く、最難関の「マスター・オブ・ウイスキー」の取得を目指して、猛勉強を始めました。
生易しい試験ではなかったようですね。佐々木さんは、世界のウイスキーの歴史、海外も含めて他社のウイスキーについても、独学で勉強しました。知識だけでなく、プレゼンテーション力も磨きました。
佐々木さんは、「マスター・オブ・ウイスキー」の試験を次のように振り返りました。
「一次試験は、ウイスキーをテーマにした論文でした。大阪のウイスキー市場を題材にA4で20枚の論文を書きました。最終試験は、ブラインドテイスティングとプレゼンテーションでした。目の前に2つのグラスに注がれたウイスキーと水が置かれていて、ブラインドで味、樽、年数、銘柄を当て、最後にそのウイスキーの飲み方をプレゼンテーションしたんですね」
2011年4月、佐々木さんは「マスター・オブ・ウイスキー」を取得しました。一人目の合格者です。
ちなみに、「マスター・オブ・ウイスキー」は、現在、佐々木さんを含めて全国に4人しかいません。
サントリー創業者の鳥井信治郎の有名な言葉に「やってみなはれ」があります。佐々木さんは、文字通り、「やってみなはれ」の精神で、バレーボール界からウイスキー業界というまったく異なる業界への華麗な転身を成功させ、自ら活路をひらいたといえるでしょうね。
現在、佐々木さんはお台場にあるサントリースピリッツ本社を本拠地としています。そして、週のうち、2日は山崎蒸溜所、残りの2日は講演で全国を飛び回る生活。充実した日々を送っているんですね。