大塚家具が厳しい状況に追い込まれています。15年の勝久氏と久美子氏の経営権をめぐる〝親子喧嘩〟は、大塚家具の経営に想像以上のダメージをもたらしました。しかし、かりに父親の勝久氏が経営権を獲得していたとしても、大塚家具の業績悪化は免れなかったといえるでしょう。
大塚家具は、売り上げ低迷で3期連続の大赤字となりました。8月14日に発表した2018年12月期の中間決算は、期初計画を大幅に下回る減益となり、営業赤字は35億円と前年より拡大しています。
決算短信には、「継続企業の前提の疑義に関する注記」が初めて記載されました。
経営権をめぐる〝親子喧嘩〟は、予想以上にブランドイメージを低下させるとともに、社内を混乱に陥れ、多くの人材を失いました。大塚家具で家具を買うことにステータスを感じていた顧客層も離れていったんですね。
社長を務める大塚久美子氏は、経営者として失格といわざるを得ませんが、現在、「匠大塚」の社長を務める大塚勝久氏が、あのとき、かりにも経営権を獲得していたとして、大塚家具は再建できたのか。答えは、「ノー」でしょう。
というのは、大塚家具の業績は、2000年前半までは右肩上がりでしたが、01年12月期の営業利益75億円をピークにブレーキがかかり、その後、業績は悪化の一途をたどっていたからです。
悪化の背景にあったのは、事業環境の変化です。
勝久氏が開発した、入店時に氏名や住所を記入し、担当者が売り場を案内して、商品を提案する仕組みは、すでにこの時点で通用しなくなっていました。
住環境も大きく変わりました。持ち家を購入し、そこに一生住み続けるのならいざ知らず、いまの共稼ぎ夫婦は、多少狭くても、通勤に便利な都会のマンションを選び、身の丈に合った家具をライフステージに応じて買い替えていきます。
店舗に足を運ぶことなく、インターネットで家具を購入する人たちも増えています。
つまり、かりに勝久氏が経営権を握ったとしても、勝久氏のビジネスモデルでは経営の行き詰まりは避けられなかった。その意味で、久美子氏の〝反乱〟には妥当性があったわけですが、ただ、久美子氏は経営を立て直す手腕に欠けていました。
久美子氏は、経営権を握ったあと、「気軽に入りやすい店舗を目ざす」と宣言したにもかかわらず、その先の新しいコンセプトをつくることができませんでした。集客や売り上げに結び付く、構想を立てることができなかったのです。
その間、ライバルのニトリやイケアは、家具をそろえながらも、雑貨や小物など、生活関連用品を幅広く販売する業態へと進化を遂げました。
広い店内を回遊し、商品を見つける、選ぶ楽しさを提供したり、イケアの店内では輸入食材の販売コーナーやフードコートが設けられ、家族で一日、楽しむことができるんですね。
実際、大塚家具の店内が閑散としているのに対して、ニトリやイケアの店内には活気と楽しさがあります。
こうして考えると、勝久氏と久美子氏のどちらが経営権を握ったとしても、大塚家具の再生はむずかしかったと考えるのが妥当なところでしょう。
現在、大塚家具は提携先からの出資受け入れなど、経営再建を目ざしていますが、果たして経営状況を立て直すことができるか。
家具の専門販売というビジネスモデルそのものが岐路に立っているなか、生き残りの道はあるのか。いずれにしても、一筋縄ではいかないことだけは確かでしょう。