Loading...

経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

片山修のずたぶくろⅡ

経済ジャーナリスト 片山修が、
日々目にする種々雑多なメディアのなかから、
気になる話題をピックアップしてコメントします。

ビジネス視点から見た本庶さんのノーベル生理医学賞

京都大学の特別教授の本庶佑さんが、がん免疫療法につながるたんぱく質「PD‐1」の発見で2018年のノーベル生理医学賞に輝きました。じつは、「PD‐1」を応用したがん治療薬の開発には、本庶さんと中堅製薬会社の小野薬品工業との絶妙なタッグがあったんですね。

本庶さんは92年、免疫抑制分子「PD‐1」を発見しました。「PD‐1」を応用して開発されたのが小野薬品工業のがん治療薬「オプジーボ」です。

しかし、新薬実現までの道のりはじつに厳しいものでした。

新薬研究の成功率は、2万分の1から3万分の1といわれます。一つの薬ができるまでには、2000億円近くかかるといわれます。当然、国内の大手製薬会社は共同研究に二の足を踏みました。

中堅製薬メーカーの小野薬品工業も、一度は本庶さんとの共同研究を断ったそうです。がん治療薬の開発ノウハウを持たない「素人企業」だったからです。しかし、本庶さんの熱心な誘いもあって、社運を賭けて挑戦に乗り出しました。つまり、リスクテイクをしたわけです。

本庶さんの研究をとことん信じ、研究開発費を投じた小野薬品工業の懐の深さ、そして長年にわたって本庶さんを支え続けた粘りと執念。両者のタッグは絶妙でした。

注目したいのは、本庶さんの挑戦もさることながら、本庶さんの研究を支える小野薬品工業の存在です。

本庶さんは会見で、子供たちに向けて、「教科書に書いてあることを信じない。本当はどうなっているのかという心を大切にする」と語りました。

優秀な研究者は、熱意が過ぎるあまり、変人の域に達することもしばしばです。自分のことを「エゴイスト」といっていることからもわかるように、個性派であることは間違いないでしょう。

「PD‐1」の発見から治験まで15年、実用化までおよそ22年。小野薬品工業は、本庶さんを支え続けました。

そこで、ハタと気づいたのは、ホンダのビジネスジェット機「ホンダジェット」の開発物語とじつによく似ているということです。

「ホンダジェット」の生みの親、ホンダエアクラフトカンパニー社長の藤野道格さんもまた、個性的な研究者です。天才の執念と気迫をもって物事を成し遂げるパワーが持ち味です。

その藤野さんの失敗と挫折の積み重ねを、30年以上にわたって、ホンダは支え続けました。そして、ホンダもまた、飛行機開発にはシロウトでした。

なぜ、飛行機開発のノウハウがゼロのホンダが自前で飛行機開発ができたのか。チャレンジ精神だといってしまえば、簡単ですが、そこにはチャレンジ精神の一言では片づけられない苦闘の連続がありました。

藤野さんは、かつてインタビューしたとき、「もちろん、失敗はいっぱいあります。雑誌などで書かれていることは、僕の人生の3分か4分、そんなイメージかもしれません」と語っていました。

それでも、ホンダは一円も利益をあげない航空機の研究開発を、30年もの間、継続しました。

なぜ、ホンダにそれができたのか。私は、「技術屋の王国」でも書きましたが、ホンダには、〝不思議力〟が備わっているとしかいいようがありません。じつに不思議な会社です。

同様に、本庶さんの研究を支え続け、「オプジーボ」というヒット薬を生み出した、超我慢強い小野薬品工業にも、ある種の〝不思議力〟があるのではないかと思います。

本庶さんは記者会見で、「基礎研究に関わる多くの研究者を勇気づけたのであれば、私としては望外の喜びです」と語っています。

日本の製薬会社は、新薬開発に苦戦しています。小野薬品工業との絶妙なタッグは、新薬開発にいたる過程における好例になるのではないか。そして、研究者の励みになるのではないか。

研究開発費が潤沢とはいえないホンダが、つぎつぎと「不思議力」を発揮しながら、「ホンダジェット」の開発を成し遂げたことを思い出しながら、そんなことを思いました。

ページトップへ