和歌山電鐡貴志川線、貴志駅の駅長「たま」が死にました。貴志川線がどこにあるか知らない人でも、「たま駅長」は知っているのではないでしょうか。「たま」は、名もないローカル線を、一気に全国区にした立役者でした。
貴志川線は、10年以上赤字続きで、06年に、一度は廃線が決まりました。しかし、地元住民が立ち上がり、岡山県の両備グループによって再建されました。
両備グループ会長兼CEOの小嶋光信さんは、両備運輸、貴志川線のほか、三重県の津エアポートラインや広島県の中国バスなどを再建し、いまや、地方公共交通の再建請負人として知られます。昨年末、インタビューする機会がありました。
「たま駅長」の生みの親である小嶋さんは、超頭の回転が速く、超切れ者です。人当りは柔らかく、まったく偉ぶらない人柄です。名経営者であると同時に、標語やアイキャッチ、話題づくりの名人です。なかでも「たま駅長」は、彼の傑作であることは間違ありません。
「たま」は、もともと行き場を失った三毛猫でした。飼い主が「引き取って、駅に住まわせてやってくれないか」と、小嶋さんのところにやってきた。
小嶋さんは、一目見て、「駅長だ」とひらめきます。しかも、正社員としてキャットフード一年分にあたる年収7万円で雇用し、猫の頭に合うサイズの制帽をつくったうえ、「招き猫」として集客するよう辞令まで出したんですね。
これが大うけで、国内外から多くの観光客が押し寄せるようになったのです。
「たま」の死を受けて、小嶋さんは、「たま駅長を“名誉永久駅長”として、永遠にその名を刻み、残したいと思います」とコメントしていますが、これも機転がきいていますよね。
貴志川線の再生ストーリーは、「たま駅長」ばかりに注目が集まりがちです。しかし、小嶋さんは、次のように語っていました。
「ポイントは、住民たちの意思なんです。地域の再生は、地域にいる人たちが、自分たち自身で、物心両面に汗をかいて取り組まなければ、なし得ないんですよ」
貴志川線の場合は、6000人にのぼる地元の会員が、「乗って残そう貴志川線」というスローガンを掲げ、路線存続運動を展開したほか、沿線でのイベント企画などを、現在も住民が行っています。
小嶋さんは、『人材教育』2013年9月号のなかで、次のように話しています。
「儲かることを虎視眈眈と狙っていたら、セレンディピティ(偶然、思わぬものを発見すること)は生まれないでしょう。セレンディピティは、高い理想があるから生まれるのだと思いますし、また高い理想がないと、仕事をしていても面白くないでしょう」
これは、公共交通を守るという「高い理想」を掲げていたからこそ、「たま駅長」という「セレンディピティ」を得ることができた、と読むことができますね。
つまり、優れたアイデアは、つねに高い理想、目標、志、想いなどがあって、はじめて生まれるものである。
「たま駅長」は、小嶋さんの熱い想いから生まれたということですね。