以下、異常気象について、愚考してみました。
今夏は、広島や高知、京都など、
西日本を中心に、記録的な豪雨に見舞われました。
毎日新聞によると、今年6月以降、
24時間雨量が観測史上最多となった地域は、全国25カ所。
また、気象庁のデータによると、時雨量50㎜を超える大雨の回数は、
40年前の約1・5倍に増加している。
つまり、“異常気象”が、
もはや“異常”ではなくなった現実が浮かび上がってきます。
異常気象のなかでも、とくに懸念されているのが、
ゲリラ豪雨や突風など、
局地的に甚大な被害をもたらす「極端気象」です。
20日未明に広島市を襲ったゲリラ豪雨は、
同じ場所で次々と積乱雲が発生する
「バッグビルディング現象」が原因ではないかといわれていますが、
いくら山や丘の少ない首都圏でも、
あんな豪雨に襲われれば、ただではすまない。
「極端気象」について、
先日、気象専門家に話を聞く機会がありました。
気象学の見地からすると、
ゲリラ豪雨や突風などの「極端気象」の頻度は、
必ずしも高まっているわけではないというのです。
「おや?」と思いました。
実感に照らし合わせると、
ゲリラ豪雨に見舞われることが多くなっているのは
疑いようのない事実だと思ってましたから。
いぶかしげな顔をしていたからでしょう、
専門家は、次のように説明してくれました。
「『極端気象』がクローズアップされる背景には、
時代の変化があるのは間違いありません」
「社会そのものが、『極端気象』に対して敏感になっています」
どういうことか――。
戦後、日本のまちでは都市化が進み、建物や舗装部の面積が増加した結果、
雨水が土の中にしみ込みにくくなった。
保水機能が低下したために、大量の雨が一気に降ると、
河川の氾濫や地下街への浸水などが発生する。
逆説的にも、都市化が、災害のリスクを高めた側面があるということだ。
また、社会システムがますます高度化し、複雑化した結果、
一部に発生したトラブルが、
システムの全体に大きな影響を及ぼす可能性が高まっている。
だからこそ、社会全体が「極端気象」に対して、
敏感にならざるを得なくなっている。
また、「極端気象」がクローズアップされる背景として、
技術環境の変化も見逃せない。
以前は、「極端気象」は、水平規模や寿命が極めて小さいために、
発生したことをつかむことすら難しかった。
一方、現代社会では多くの人々が、
スマートフォンを肌身離さず持ち歩いている。
たまたま、ゲリラ豪雨や竜巻に遭遇したときに、
パシャッとカメラで撮影し、気軽にSNSで発信する。
こうした環境が整ってはじめて、
「極端気象」が頻繁に「見える化」されるようになった。
なるほど、と納得しました。
変わったのは、自然ではなく、人間や社会だというわけです。
ですから、すべてを“異常気象”のせいにして、思考停止をせず、
いま一度、個人も含めて、社会全体で防災について、
あらためて考えてみる必要があるということではないかと思います。