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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

片山修のずたぶくろⅡ

経済ジャーナリスト 片山修が、
日々目にする種々雑多なメディアのなかから、
気になる話題をピックアップしてコメントします。

カリスマ社長の急死で、ピンチの任天堂

任天堂社長の岩田聡さんが亡くなりました。
報道によると、昨年6月に胆管腫瘍が見つかって手術をし、その後復帰していましたが、数日前から体調を崩して入院していたということです。55歳という若さです。驚きましたね。

岩田さんは、ゲームソフトの開発会社であるハル研究所の出身で、ゲーム開発の仕事をしていましたが、任天堂社長だった山内溥さんから、同社の再建役として社長に推薦されます。そして、赤字だったハル研究所の再建を果たします。
山内さんに見込まれただけあって、才能あふれる人物でした。山内さんの引きで00年にヘッドハンティングされる形で任天堂取締役に就任、02年には、山内さんから社長を引き継ぎます。
初の外部人材からの抜擢です。びっくりしたのを記憶しています。まあ、ワンマン社長だった山内さんだからできたトップ起用です。
04年に発売した「ニンテンドーDS」、06年に発売した「Wii」は大ヒットしました。株価は7万円台を記録しました。日本を代表する超優良銘柄でしたね。
09年3月期には、過去最高益の5552億円を記録します。

しかし、その3年後、2012年3月期には上場来初の赤字に転落。それも、3期連続赤字に陥ります。
ゲーム業界では、スマートフォンの普及とソーシャルゲームが急速に台頭しました。ゲーム専用機を販売してソフトウェアで稼ぐという、従来の任天堂のビジネスモデルは、大きく崩れ始めたのです。

さらに、業績不振の真っただ中の13年9月、山内さんが亡くなり、岩田さんは、後ろ盾を失いました。連続赤字と創業家出身の山内氏の死去によって、任天堂は求心力を失い、不協和音が生じるようになったといわれます。
岩田さんのご苦労は、相当なものだったはずです。

岩田さんは、3期連続赤字の責任を追及する声もありましたが、社長を退きませんでした。そして、15年3月期、ゲームソフトの販売好調で、4年ぶりに247億円の営業黒字を達成しました。今期も500億円の黒字予想です。
さらに、今年3月には、ソーシャルゲームのディー・エヌ・エーと資本、業務提携を発表。鬼門とされてきたスマホゲーム参入を決断しました。
岩田さんは、任天堂の未来に、新たな道筋をつけようとしていたところでした。17年までに、5本のスマホゲームが配信される予定だったといわれています。
つまり、反転攻勢に出る矢先、病に倒れたわけです。無念だったろうと思います。

問題は、岩田さん亡き後の任天堂を、誰がリードするのかです。岩田さんが描いた任天堂の未来を実現できる人材は、果たしているのか。任天堂は、一気にピンチを迎えましたね。

 

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