トヨタは11日、東京大学で大学出張キャンパス授業を行いました。この日登壇したのは、2015年4月に、トヨタで初めて技能職として役員に就任し、専務を経て現副社長を務める河合満さんです。
※トヨタ副社長の河合満さん
「私は会社生活54年間、生産現場ひとつでやってきました」
と、冒頭檀上で語った通り、河合さんは中学校卒業後、トヨタ工業学園を経て、トヨタの本社工場に配属され一貫して現場でモノづくりに携わってきました。いわば、たたき上げの「職人」です。
小学校4年生の時に父親を亡くした河合さんは、母親の反対を押し切ってトヨタ工業学園に入学しました。当時のトヨタ工業学園では、課程の半分が授業に当てられ、残りの半分は工場での実習に当てられました。毎月「手当」という名の給与の出る学校に行くことで、自ら〝奉公″に出たわけです。
その後、1966年に本社工場の鍛造部に配属されると、苛酷な現場で作業を行います。当時は、1200度に焼いた真っ赤な鉄の材料を、大きなハンマーを使って叩いて成形する作業を、エアコンの無い現場で毎日行ったといいます。吹きさらしのような場所ですから、冬は酷寒で夏はとてつもなく暑い。
「夏場は汗も出ない、ザラザラするような職場でした」
と、河合さんがコメントした通り、地獄のような職場だったようです。
そんな厳しい環境のなかで、河合さんを突き動かしたのは、匠のオヤジたちの背中でした。数十キロもある真っ赤に焼いた鉄を、ハサミ1つでいともに簡単に物をつくる姿。そんな技術の匠たちの背中に憧れて、モノづくりの醍醐味を感じ、仕事に励んだといいます。
「歴史を少し遡ると、あらゆる苦難がありました。その中でもとりわけ大きい問題がリーマンショック以降、一気に70円台半ばまで進んだ超円高です。当時はプリウスを1台つくると10万円赤字、IMV(ピックアップトラック)だと30万円の赤字が出るような状況が続きました」
と、トヨタが見舞われた近年最大の危機を語りました。しかし、河合さんにいわせれば、多少の苦難もどこ吹く風、意に介しません。
「私が在籍した54年間のうち、こういう大変なことはずっとあったんです。決して急に起こるものではありません。オイルショックや排ガス規制など、当時のトヨタは大変小さな会社だったため、『いつ潰れるか?』、『もう今度こそ潰れるか!?』とそんなことが何回もありました。ですが、諸先輩方はそういうものを全て力に変えて頑張ってきました」
河合さんはその後、2005年に鍛造部長、08年に副工場長、13年に技能職のトップである技監を歴任し、一昨年の15年にトヨタの専務役員に就きました。トヨタとしては技能職初の異例人事でした。
トヨタは、いまや連結で従業員数36万人を擁する巨大企業に成長しました。現在、国内12工場のほか、海外28ヶ国・53の地域事業体を展開し、世界中から優秀な人材が入社してきます。トヨタはなぜ、技能職出身の河合さんを役員に据えたのでしょうか。
そこには、トヨタに脈々と流れる、モノづくりに対する理念や企業風土が関係しています。同社はその半数以上が技能職に支えられている、現場が屋台骨の企業です。これは何も、トヨタに限ったことではありません。モノづくりを志す企業であれば、現場や職人をないがしろにするわけがありません。端的にいって、現場を重視する姿勢が自然に人事に表れたということです。
今年4月、副社長に抜擢された河合さんですが、「職人」としての立場は変わりません。トヨタ本社には、15階に社長室と副社長室が設けられています。しかし、河合さんは「社長にワガママをいって」本社工場の鍛造部に部屋をつくってもらい、現場に顔を出す仕事を続けているといいます。他の「職人」たちと毎日顔を合わせ、同じロッカーを使い、同じ釜の飯を食べ、鍛造部にある風呂でみんなと汗を洗い流します。
「現場は私が入った頃と何ら変わっていない。今も泥臭いことをやっています。こんなことをトヨタがやっているの?といわれるぐらいです。真っ黒になって手作業で、1円をどうやって儲けるか。1秒をどれだけ短縮するか。そういうことをやっています」
とはいえ、河合さんの目が光る現場でいい加減な仕事ができるはずはありません。質の高い仕事が求められます。
「モノは売れる速さで流れながら形を変えていきます。形を変えないで流れていっても、なんの付加加価値もありません。材料を買った瞬間からいかに早くクルマにしてお客さんに買っていただくか。溶接をする作業は、火花が出ている時だけ価値があります。その道中の行き来にはまったく付加価値がありません」
といいます。つまり、材料の形をいかに早く変えることができるか。そこに行きつくまでの「リードタイム」を短縮することで付加価値が上がっていきます。
「世の中はこんなに自動化が進んでいるのに、なぜ手作業が必要なんだ?」
と、河合さんはよく聞かれるそうです。事実、以前に比べればファクトリーオートメーション化が進み、工場で人がラインの工程に関わる部分は少なくなりました。
ところが、河合さんいわく、「手作業こそが技能の原点」です。誰が自動化された現代のラインをつくったのでしょうか。間違いなく人の手によるものです。実際、トヨタの量産車はオートメーション化されていますが、少量生産のFCV「ミライ」やレクサスのフラッグシップモデル「レクサスLC」は、いまだにほとんどの工程が手作業で行われているといいます。
※手作業で行われるトヨタFCV「ミライ」の組み立て現場
「人がとことんこだわって手作業でつくり込んで簡単にする。誰がやっても同じ物ができるようにする。それから『自働化』するのは簡単です。世の中ではスリム化、フレキシブル化が叫ばれていますが、シンプルにしてからスリムにしなければいけない」
こうして、腕のいい職人が最も良い方法で行った作業を数値化し、形式化して標準化すれば一定の品質のモノができます。この繰り返しが自動化に人偏のついた「自働化」の姿です。
「決して機械やロボットが、勝手に自分で一番いいやり方を考えて技術を進歩させたわけではありません」
今ロボットが行っているライン生産。そのロボットよりもレベルの高い腕を持った〝匠の人″を育てることが、河合さんの使命だといいます。そして、技能と技術を常にスパイラルアップしながら進化させていく。クルマをつくるのも使うのも、結局は人です。
「書道の基本は墨の付け方、量から腕先の角度。そしてスピード、押さえ方、入り、跳ね、払い。そうした基本や匠の感性をロボットに教え込まなければ、ロボットも綺麗な字をかけません。いかに基本が大事かということです」
※ロボットを使った書道経験者と未経験者の比較
そんな職人気質の河合さんですが、15年4月に技能職として初めて専務役員に就任した際は、朝から電話が鳴り止まなかったそうです。後輩たちが「俺らでも頑張ったら河合さんみたいになれるぞ!という道が開けたことで、みんながそれを目標にしてくれるということは、責任は重いが予想はできた」といいます。技能職のモチベーションアップにもつながります。
ですが、河合さんが専務になって一番驚いたのは、10才も20才も年上の、よく怒っては育ててくれた先輩からたくさん電話が掛かってきたことだといいます。
「俺だけどわかるか?河合わかるか??」
誰かといわれても最初はわからない。
「俺はボケて免許も取り上げられてどこにも行けないけど、お前の新聞を見たら嬉しくて電話したんだ!」
二言目には「お前のとこの社長は偉いな!と私を褒めるんじゃなくて社長を褒められた」といいますが、河合さんは、この時こそが、トヨタが現場の職人たちの働きを認めてくれた瞬間だったと振り返ります。
職人たち、いやすべてのトヨタの社員たちは、それぞれの現場で、トヨタ生産方式を守りながら、淡々と人づくり、クルマづくりを続けていくほかありません。
今、日本では東芝や神戸製鋼、日産をはじめとする企業の不正によって、モノづくりの根幹が揺らいでいます。河合さんの講演は、日本のモノづくりの原点回帰を示唆する警鐘ともいえるのではないでしょうかね。