先だっても触れましたが、代々木上原駅前の名書店、幸福書房さんが今日で閉店します。NHKや朝日新聞、昨日の東京新聞の夕刊にもニュースが掲載されていましたね。
今朝、隣の喫茶店から見ていると、お客さんがひっきりなしに店を訪れていました。写真を撮ったり、店主の岩楯さんらと言葉を交わしたりして、名残を惜しんでいる。
※最終日の幸福書房さん
多くの人が買い求めているのが、レジ前に並べられた『幸福書房の四十年 ピカピカの本屋でなくちゃ!』(岩楯幸雄著、左右社・1250円税別)です。先日発売された、岩楯さんの半生を記した著書ですよ。
※『幸福書房の四十年 ピカピカの本屋でなくちゃ!』(岩楯幸雄著、左右社・1250円税別)
本文は、訥々とした岩楯さんの口ぶりそのままに、一人称のですます調で綴られます。ページをめくれば、ああ、そうだったのかと、初めて知ることが多く書かれてありました。
本屋が、本と本屋を語る本です。日本の本屋と書籍の繁栄の時代から、現代の苦難の時代までを切り取った、まさに本屋さん一代記。言葉の端々から、岩楯さんの本に対する姿勢や、素朴で真摯な生き方が伝わってくる本です。
また、町の本屋の経営について、月商から坪当たりの売り上げの目安、資金繰りなど、細かいおカネの話や本棚のつくり方、万引き対策まで、実情、ノウハウにあふれています。
※店内
本によれば、岩楯さんはもともと、電子部品製造メーカーの営業社員として3年間勤めたのち、1973年に新小岩にあった書店に入社して修行。1977年、豊島区の南長崎に、初めてのご自分の店を構えたんだそうです。
店を構えるにあたり、大手家電メーカーの経理をしていた弟の敏夫さんを引き込んだ。以来、お金のことはすべて敏夫さんに任せきり。
「今までの決心のこと、つまり新規店舗の出店や今回の閉店のことなどはすべて私が決めて来ましたが、それ以外は弟の役割です」
40年間、一緒に店を切り盛りしてきた弟さんの給料を今日まで知らないといいますから、人柄がうかがわれますね。信頼して任せ、口出ししない。家族経営、中小企業の経営の真髄でもあるかもしれません。
「本というのは売ることよりも仕入れることのほうが楽しいのです」
「あなたが今手にとったその本はあなたに向け私が今朝仕入れました」
これらの言葉に触れるたび、本とお客さんに対する岩楯さんのあったかい思いが、じわじわと伝わってきます。
仕入れの際には、お客さんの顔を思い浮かべながら仕入れるんだそうですよ。例えば、鉄道の本を買う人は、26人か27人いるんだとか。でも、決してその人たちに、口に出してすすめるようなことはしない。
「いい鉄道の本が出ましたよと、声をかけるわけではありません。私は、書棚でお客様と会話しているつもりです」
思えばいつも、私の欲しい本は幸福書房に置いてあった。私が求めそうな本を、岩楯さんが選んでくれていたからなのかもしれません。私も書棚で、岩楯さんと会話をしていた。本当に稀有な本屋を失うのだと、あらためて寂しいですね。
もっとも、人生100年といわれる現代、69歳の岩楯さんには、まだまだ人生の続きがあります。著書には、「これからは、家のある豊島区南長崎3丁目に帰って、少しずつ自分の手で『ブックカフェ 幸福書房』を造っていこうと思っています」とありました。
ご本人からも聞きましたが、ご自宅の近所では、トキワ荘を再建するプロジェクトが進んでいて、商店街の復興に協力することになるかもしれないといいます。岩楯さんの生き方は、あるいは、引退後のサラリーマンにとっても、一つの指針になりえると思うのです。
幸福書房さん、岩楯さん、長い間、ありがとうございました。
「ブックカフェ 幸福書房」が実現した折には、ぜひ顔を出したいと思います。