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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

片山修のずたぶくろⅡ

経済ジャーナリスト 片山修が、
日々目にする種々雑多なメディアのなかから、
気になる話題をピックアップしてコメントします。

資生堂はなぜ、変われたのか

歴史ある企業ほど、過去の成功体験が足かせとなり、改革へと舵を切るのがむずかしいといわれます。〝現状維持〟の病ですね。

1872年創業で化粧品国内最大手の資生堂も、業績不振を前に変わることができずにいました。

資生堂は、長引く国内事業の不振から業績が低迷しました。2013年3月期の連結決算では、売上高が前期比0.7%減の6777億円、営業利益が同33.4%減の260億円となり、最終損益は146億円の赤字に転落しました。

10年に19億ドル(当時約1800億円)で買収した米国の自然派化粧品会社「ベアエッセンシャル」の販売不振も重荷でした。14年3月期には、上場後初の減配に追い込まれました。

日本企業は、しばしば企業体力を超える無理な海外M&Aで失敗しますが、資生堂の場合もそうでした。資生堂は、海外M&Aで手痛い授業料を払う結果になったんですね。

経営の立て直しを図ったのは、外部から起用され、14年に社長に就任した魚谷雅彦氏です。ご存じのように、日本コカ・コーラの社長、会長を歴任した「プロの経営者」です。

魚谷氏は、資生堂の何を変えたのか。一つは、〝負の連鎖〟を断ち切ったことです。〝タブーなき変革〟といえるでしょう。

魚谷氏は社長就任後、「資生堂を元気にする」と宣言し、それまでの〝負の連鎖〟を断ち切りました。中国やアジアの店頭在庫の適正化、赤字事業からの撤退、バックオフィスやITシステムの統合など、思い切った取り組みを実行したんですね。

また、90年の歴史を持つ販社制度にも終止符を打ちました。企画から販売までの権限は、新たに発足した「資生堂ジャパン」に一本化しました。

歴史ある販社制度を取りやめたのは、魚谷氏が外部から招かれ、社内のしがらみと無縁だったからこそ、可能だったといえるでしょう。

もう一つは、グローバル企業への脱皮です。資生堂はかねてから、仏ロレアルや米エスティローダーにならぶグローバルな化粧品メーカーを目標にしていました。ところが、これまでの資生堂は、グローバルで勝ち抜くための条件を備えているとはいえませんでした。

資生堂は2016年以降、6つの地域本社と5つのブランドカテゴリーを掛け合わせた、グローバル経営体制を構築し、地域本社それぞれが大きな権限を持ち、責任をもって地域の経営を行う体制へと移行しました。

権限と責任の明確化は、資生堂にとって大きな変化でした。これまでの日本中心、本社中心の組織を変更し、地域ニーズに即したマーケティングを実行することによって、グローバルな成長を目ざしたんですね。

魚谷氏が社長に就任して3年。2017年12月期、資生堂は売上高1兆円を超えました。創業140年の歴史上、初めてです。連結営業利益も前年比約2.2倍の804億円と過去最高を更新しました。

資生堂といえば、優良企業です。銀座を発祥の地とする名門企業でもありますよね。

〝現状維持〟の風土を断ち切り、改革を進めるのは容易ではなかったはずです。魚谷氏が、強い決意をもって、〝負の遺産〟に向き合い、問題を解決したのはいうまでもないでしょう。

ただ、魚谷氏のリーダーシップはもちろんですが、社員が危機意識をもって、改革に意欲を示したことが、「魚谷革命」の成功要因の一つだったことはいうまでもありません。

社員に危機感を持たせることは、口でいうほど簡単ではない。多くの企業は、危機状態にありながらも、現状を変えるためのアクションを起こせない。これまでのやり方をよしとし、従来のやり方を変えようとしません。

「魚谷革命」の成功は、社員に「変わらなければいけない」という強い思いを持たせたことにあると思います。

この10月、資生堂は、本社部門を対象に英語を公用語化します。社内文書や会議での言語も英語になります。

「日本での勤務だからといって、英語が不要だとはいっていられません。英語学校に通って、英語を勉強しなおしていますよ」と、資生堂で働く50代の社員は語りました。

英語公用語化には、生産性の低下を招くとして否定的な声も聞かれますが、少なくとも資生堂の社内は、英語公用語化を前向きに受け止めているようです。

それは、「変わらなければいけない」という社員の強い危機感のあらわれのように思います。

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