11月30日、英国の裁判所は、乗務前の過剰飲酒により10月にロンドン・ヒースロー空港で逮捕・拘束された日本航空(JAL)の副操縦士に対し、禁錮10カ月の実刑判決を言い渡しました。
今日はこの「JAL副操縦士・飲酒事件」をケースとして、現代におけるインフラの安全マネジメントやコンプライアンス強化について考えてみたいと思います。
まず同事件の顛末について振り返っておきましょう。副操縦士は乗務前日に、ホテルのラウンジや自室で大量に飲酒し、赤とロゼのワインを各1本、瓶ビール3本、缶ビール2本を空けた。乗務直前になっても酩酊状態だった。
乗務前に実施された社内のアルコール呼気検査は、検知器に息を雑に吹きかけるなどの不正をしてすり抜けたものの、ホテルからJALの現地事務所に向かう送迎バスの運転手が、アルコールの臭いに気付き、保安担当者にその旨を伝達し、警察に通報。警察があらためて検査したところ、英国の法令で定められた基準値の約9倍のアルコール値が検出された――というものですよね。
現代の航空機は、気象や空港設備などの条件が整っていれば、離陸時を除くほぼすべての操縦をオートパイロット(自動操縦)機能によって行うことができるといわれます。とはいえ、操縦士の役割がゼロになったわけではありません。
例えば、オートパイロットが正常に機能しているかどうか、絶えずチェックしておかねばなりませんし、交通管制とコミュニケーションを取りながら、安全かつ安定的な運航を確保しなければいけない。
酩酊状態でいいはずがありませんよね。何よりも数百人の乗客の生命を預かっているわけですから、飲酒運転などもってのほか。副操縦士に対して厳しい処分が下されたのは至極当然でしょう。
裁判官は「非常に長距離のあのフライトで最も大事なのは、乗っている人全員の安全だ。あなたの酩酊によってその安全が、危険にさらされた」「あなたがあの飛行機を操縦していたらと思うと、あまりに恐ろしい。乗っていた人たちに壊滅的な結果をもたらす可能性もあった」と述べました。副操縦士にはプロ意識が欠如しているというほかなく、情状酌量の余地などありません。
ただ、再発防止策となると、一筋縄にはいかないというのが正直なところではないでしょうか。
JALによると、パイロットの飲酒問題は今回に限った話ではなく、2017年8月以降、操縦士が社内のアルコール検査に合格できなかったケースが19回もあったそうです。飲酒問題が一定の頻度で発生していることを考えると、「だらしない」「真面目さに欠ける」「意志が弱い」といったパイロットの資質の問題というよりも、ある種の構造的な背景があると考えるべきだと思います。
例えば、なぜ、副操縦士は深酒をしたのでしょうか。副操縦士の弁護士は裁判において、「(副操縦士は)仕事で家族と長期間離れる寂しさに加え、不規則な勤務時間などにより不眠症に陥っていた」「自己治療の手段としてアルコールを使っていたようだ」と述べたそうです。この発言には、ウーンと考えさせられるところがありますよね。
というのは、航空機、とりわけ国際線のパイロットの労働環境はきわめてハードだといわれています。
「時差ぼけ」による生体リズムの失調はその最たるもので、国際線のパイロットのじつに9割が「時差ぼけ」に悩まされているほか、3分の1近くが睡眠障害を抱え、メンタルヘルスへの影響も少なからず存在するといわれています。
そのうえ、心の拠り所である家族となかなか会えない日々が続いて、孤独感に襲われたら……飲酒運転は言語道断とはいえ、お酒に逃げたくなる気持ちはわからなくもないですわね。家庭や職場における「生活」にまつわる悩みの解消を目指さない限り、お酒に頼ってしまう社員は、今後も後を絶たないと思います。
ポイントは「生活」です。いま、社会システムの安全マネジメントでは、生活者を起点とした「人間生活工学」からのアプローチが注目を浴びています。
「人間工学(ヒューマン・エンジニアリング)」をベースとして、1990年代から発展を遂げてきた学問分野です。その特徴は、「生活者」、すなわち行動する個人の視点から、使いやすく、わかりやすい製品やシステム、環境を設計し、安全かつ安心、快適、健康、便利な生活環境の構築を目指す点にあります。
つまり、今回の事件でいえば、アルコール検知器をゴマかしのきかない形状に「人間工学」の立場から修正を加えるだけでなく、パイロットの人間の自然な行動をしっかりと把握したうえで、生活習慣指導や睡眠指導など、「生活者」の視点からマネジメントを考えるということです。
JALは再発防止策として、海外空港に配備した新型アルコール検知器による検査の実施や、全社員を対象とするアルコールに関する知識の付与、意識向上に向けた研修の実施、グループ各社の運航乗務員の乗務開始24時間前以降の飲酒の暫定禁止などを打ち出しています。
しかし、もっと「生活者」の視点に寄り添った対策も必要だということですね。「生活者視点」を抜きにして、魂の入ったコンプライアンス体制の構築や、安全マネジメントのレベルアップは考えられないと思います。