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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

片山修のずたぶくろⅡ

経済ジャーナリスト 片山修が、
日々目にする種々雑多なメディアのなかから、
気になる話題をピックアップしてコメントします。

<ふるさと革命⑦>”限界集落”色川地区が移住促進に成功したワケ

地方創生の起爆剤の一つとして、いま、日本中の地方都市がインセンティブをつけて獲得合戦を繰り広げているのが、移住・定住者、すなわちI・Uターン者です。

そのなかで、大きなインセンティブなしにIターン者の獲得に成功している町があります。和歌山県東牟郡那智勝浦町の“限界集落”、色川地区です。

JR紀勢線の紀伊勝浦駅前でタクシーに乗り、北西方面へ山道を走ること40分以上。
色川地区は、林野率99%、険しい山間に大小9つの集落が点在しています。
有機農業、林業、茶業が主な産業で、サル、シカ、イノシシなどによる鳥獣被害が多い。食料品や日用品を扱う商店は2軒。紀伊勝浦駅までは、9人乗り町営バスが一日3便運行。病院は診療所が1カ所、非常勤の医師が火曜日午後に開院。まさに限界集落そのものなんですね。


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※和歌山県東牟郡那智勝浦町の色川地区

人口は、約370人。うち約170人がIターン者です。

色川地区のIターン者受け入れのための中核組織が、91年に設立された自治組織の色川地域振興推進委員会です。会長を務めるのは、やはりIターン者の原和男さんです。

原さんは、変わった経歴の持ち主です。バングラディシュの貧困層の子どもたちを救いたいという夢をもち、農業を学ぶべく、京都府立大学農学部に進学。造園業で2年間のサラリーマン生活を送ったのち、農業の実技を磨くべく、農地探しを開始します。
農地法に阻まれて思うようにいかず、困っているとき、那智勝浦町色川地区の「耕人舎」の存在を知り、81年、26歳のときに、同地区にIターンしました。

もともと色川地区は、銅鉱山と林業で栄えた村でした。最盛期の人口は約3000人。しかし、72年に銅鉱山が閉山。林業も衰退し、人口流出が進みました。
77年、5家族17人からなる「耕人舎」が、有機農業を展開しようと色川地区に移住しました。これが、村の再生物語のスタートです。

このとき「耕人舎」のメンバーは、約2年にわたって地元の有志の人々と話し合いを行い、集落を維持するために何をすべきかを共に考えました。このとき相互理解が進んだからこそ、地元の人々は、「耕人舎」に加え、定住希望者や研修生を受け入れていきました。
「私がすごいと思うのは、『耕人舎』の人々やよそ者を、快く受け入れてくれた色川地区の有志の方々の勇気とエネルギーです」(原さん)

地元の人々のパワーに圧倒された原さんは、以来30年間にわたって色川地区に住み続け、現在は、葉物野菜の生産のほか採卵養鶏に従事しています。
振興推進委員会は、移住希望者の受け入れ態勢を充実させてきました。旧籠小学校の校舎を改修して建設された「籠ふるさと塾」が、一例です。1か月2万円で利用できる家庭用滞在施設、1日1500円、1か月1万5000円で利用できる単身者用滞在施設が設置されています。山村生活体験や農業実習のための拠点施設なんですね。

振興推進委員会は、「籠ふるさと塾」の運用を、那智勝浦町から委託されています。
定住希望者が田舎暮らしの実態を段階的に理解し、スムーズな移住・定住をできるようにするために、①稲作、畑仕事などの体験メニューを実施する「体験(ツーリズム)型」、②1週間から1年間の農業実習を実施する「実習型」、③5日間の定住体験を実施する「定住型」のプログラムを用意しています。
プログラムを受講した定住希望者や農林業従事希望者には、振興推進委員会の定住促進班が中心となり、空き家や休耕地などを紹介します。

興味深いのは、「色川に合う人が来ればいい」という振興推進委員会のスタンスです。原さんは、「田舎での生活は想像以上に厳しく、自らの力で乗り越えなくてはいけないハードルがいくつもあります。手厚いサポートのある他地域にいっていただいた方がいいと思うケースもあります」といって、はばからないのです。

移住・定住希望者に対して、原さんは、“四つの誓い”を求めます。①地域に溶け込み、その流れに乗る、②もめごとを起こさない、③暮らすなかでさまざまな課題や問題が出てくるが、人のせいにせず、自分の責任で乗り越える、④地域で頼まれたことはできる限り引き受ける――。
村の人たちが延々続けてきた暮らしの流れのなかにしっかりと身を置くことで、長い時間をかけて溶け込んでいくことが求められると、彼は持論を展開します。

色川地区が新規移住者の受け入れをスタートさせてから約40年、小中学校や郵便局を維持し、消防団を存続させてきました。これらは、一過性の移住・定住に安住することなく、根張り強く“土着”を志向してきたからにほかなりません。
「われわれの子どもたちが色川地区に延々と暮らし続けるようになってはじめて、移住者が色川地区の担い手としての役割を果たせるようになるのではないでしょうか」
と、原さんは話します。

インセンティブに頼らず、移住・定住者の増加を達成した色川地区の示唆するところはきわめて大きい。
同時に、移住・定住促進による地方創生は、とてつもなく息の長く、困難な取り組みが求められることも教えてくれますよね。

 

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