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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

片山修のずたぶくろⅡ

経済ジャーナリスト 片山修が、
日々目にする種々雑多なメディアのなかから、
気になる話題をピックアップしてコメントします。

サムスンの“世代交代”

先週、サムスン二代目会長の
李健熙(イ・ゴンヒ)さんが倒れたことに関して、
サムスンの事業継承は成功するか」というブログを書きました。
今日は、その続報です。

前回、サムスンは、トップ交代に向け、
周到な準備をしてきたはずだと書きました。
具体的に、どのような準備が進められてきたのか。
人事異動から見てみましょう。

まず、2010年、サムスングループのなかで目立った
トップをめぐる人事異動がありました。
長男の李在鎔(イ・ジェヨン)さんが、サムスン電子の社長に就任。
長女の李富真(イ・ブジン)さんは、
エバーランドの戦略担当社長兼ホテル新羅社長のほか、
サムスン物産商事部門の顧問にも就任しました。
これは、事業継承の布石の第一弾といえるでしょう。

さらに、その後、注目すべき人事がありました。
李健熙さんの側近集団、すなわち
サムスングループの参謀本部「未来戦略室」の人事異動です。第二弾です。
12年6月、サムスン電子副会長兼CEOだった
崔志成(チェ・チソン)さんが、突然、未来戦略室長に就任。
サムスンの人事は、毎年12月に行われますが、このときは異例でした。
崔志成さんは、現在も同職を務めています。
同年12月には、李在鎔さんがサムスン電子の副会長に就任しました。

そして、いまから考えると、もっとも大きな布石が打たれました。
今年4月30日の未来戦略室の大幅な人事異動です。第三弾です。
これは、5月1日付で、前日の30日に発表されました。
これまた、12月の定期的な人事とは別です。
関係者も、「なぜ、こんな大きな人事が、この時期なのか」と、
首をかしげたほどです。
未来戦略室は、現在、6つのチームと遵法経営室がありますが、
これらのそれぞれのトップ7人のうち、
6人が変わるという大きな人事でした。

じつは、その10日後の10日、李健熙さんは、急性心筋梗塞で倒れたわけです。
この倒れる直前の大幅な「未来戦略室」の人事異動こそは、
李健熙さんの“世代交代”に向けての
メッセージだったのではないかと思われるのです。

この人事の特徴は、ズバリ「未来戦略室」各チームのトップの若返りです。
60歳を超えるのは、室長の崔志成さんと、
以前からいた未来戦略室次長の張忠基(チャン・チュンギ)さんだけです。
あとは、すべて50代になりました。
これは、何を意味するか。
つまり、45歳の息子の李在鎔さんへの
バトンタッチの準備ではないのかと思われるのです。

また、未来戦略室のチーム長を離れた6人のうち3人は、
サムスン電子に戻りました。同じような役割をもつポジションに就いたのです。
これは、サムスン電子の経営体制の強化だと考えられます。
いずれにせよ、その人事異動の10日後に病に倒れたわけですから、
さまざまな憶測を呼ぶのは、当然ですよね。

李健熙さんは、今年1月11日に韓国を出て以来、
約3か月間、海外生活を送っていました。
4月17日に帰国しましたが、おそらく、
自らの体調が思わしくないことを、よくわかっていたのではないでしょうか。

海外への長期滞在中、熟考に熟考を重ね、
いつ、息子がトップに立っても問題なくグループが運営されるよう、
新たなマネジメント体制を練り上げたと考えることができます。

帰国2週間後の人事発表、そして病に倒れる……。
ギリギリ間に合った、という印象を受けますね。

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