ご存じのように、今月23日、
大手予備校「代々木ゼミナール」を運営する学校法人高宮学園は、
全国27カ所の校舎の7割強にあたる20校を閉鎖する計画を発表しました。
加えて、全国模擬試験や大学入試センター試験の分析を廃止するなど、
事業を大幅に縮小する方針です。
予備校業界の“巨人”に何が起こったのでしょうか。
24日付の日経新聞は、この背景について、
①「完全全入時代」の到来に伴う、浪人生の減少と現役志向の高まり
②国立、理系学部を志望する受験生の増加
③台頭するネット配信授業と比べた場合の経営効率の悪さ
の3点を挙げています。
まったくもってその通りだと思いますが、
もっと大きな視点から考えることもできると思います。
振り返ってみると、
大手予備校が躍進を遂げたのは、高度経済成長期です。
団塊の世代が大学受験を迎えたころから、
受験競争はどんどん熾烈になっていきました。
加えて、社会が豊かになるにつれて、「大学受験の大衆化」が一気に進んだ。
いわゆる“受験戦争”の勃発が喧伝されるなか、
予備校へのニーズはどんどん膨らんでいきました。
学習塾や予備校ビジネスの大きな特徴は、
学習サービスを提供する前に、前金でキャッシュ(受講料)を確保できることです。
投資の視点からすれば、なんといっても“キャッシュは王様”ですわね。
予備校は、潤沢なキャッシュを元手に、
積極的な設備投資による事業拡大を図ったり、
財テクによる資産形成ができました。
こうした背景に支えられて、
代々木ゼミナール、河合塾、駿台予備校の
いわゆる「3大予備校」は、急速な成長を遂げることができたわけですね。
「3大予備校」は、
「“講師”の代ゼミ、“机”の河合、“生徒”の駿台」といわれた。
つまり、代ゼミは優秀な講師陣をそろえる一方、
河合塾は設備やテキストのレベルが高い。
駿台予備校は、医学系や難関国公立大学志望のハイレベルな学生が切磋琢磨している――
そんなイメージでしょうかね。
ホントかどうかは知りませんが、
まあ、ビジネスの言葉でいえば、
代ゼミは「ヒト」、河合は「モノ」、駿台は「特殊ニーズへの対応」を、
独自の強みとして生かしながら、成長を続けてきた。
こうした傾向は、団塊ジュニア世代が大学受験を迎えた、
90年代ぐらいまで続いていたといえるでしょう。
予備校の“黄金期”です。
ただ、変化の兆しは、確実に芽生えつつあったと思います。
たとえば、90年代後半、中学から高校にかけての計4年間を
河合塾の総本山・名古屋千種校で過ごした、
私の事務所のスタッフは、以下のように回想します。
少し長いですが、お付き合いください。
「ぼくが大学を受験したのは98年ですが、
ほとんどの大学で競争率は一桁台まで下がっていたと思います。
人気の私大でも10数倍だったのではないでしょうか。
それなりに勉強すれば、数打ちゃ当たる状況ですよね」
「バブルはとうに崩壊していましたから、いい大学に入れば、
いい会社に入って、幸せな生活を送れるなどという希望はありませんでした。
阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件などを見ていると、
社会はとことん不透明だなという実感を抱かざるを得ませんでしたよね。
自分がなにをしたいのか、どのように生きたいのかも、よくわからなかったので、
とりあえず、現役でそこそこの大学に入って、
将来のことはあとで考えよう、というのが正直なところでした」
「周りの学生もいろいろでしたよ。すごく優秀な学生は、
大手予備校のマスプロ講義は時間の無駄とばかりに、
大学レベルの数学を教える数理専門塾『SEG』に通ったり、
通信教育『Z会』の<東大マスターコース>を受講していました。
当時からすでに、学生のニーズは多様化が進んでいたのだと思います」
なるほど。高度成長が終焉を迎え、
いわゆるロストジェネレーションが受験をするころには、
すでに受験を取り巻く環境は変わりつつあったというわけですわ。
こうした変化の兆しをつかんだうえでの対応なのか、
本来の教育理念に基づいた選択なのかどうかはわかりませんが、
河合塾は、08年に学習塾の日能研と業務提携をしたほか、
幼児から大学生・社会人、外国人を対象とした教育プログラムを
ますます充実させています。
たとえば、昨年、私立高校「東京学園高校」と業務提携し、
17年度にグローバルエリート予備軍のための中高一貫校の開校を発表したのは、
記憶に新しいところですよね。
同校は、教員の半数を海外から招き、英語教育に力を入れます。
高校卒業までに海外留学を経験させる方針です。
狙うは東大ではなく、ハーバードやオックスフォードなど、世界の有名大学です。
市場環境の変化に対応すべく、着々とビジネスを進化させてきたといえるでしょうな。
もちろん、代ゼミも10年に学習塾の「SAPIX」を買収し、
中学・高校受験向けの教育に力を入れるなど、
さまざまな手を打ってきたのだと思います。
ただ、抜本的な事業改革はついぞ成し得なかった。
バブル崩壊以降、変革を決断すべきタイミングは、いくつもあったはずです。
そう考えると、今回の代ゼミの失墜は、私の中高の後輩の名言、
「いつやるか?今でしょ!」
の声を聞き逃したツケといわざるを得ませんな。