『技術屋の王国』の読み方 ポイント② 5代にわたる社長の決断
――『技術屋の王国』には、ホンダ創業者の本田宗一郎に始まり、歴代の社長が登場します。航空機事業には、トップの経営判断が必要だったということでしょうか。
片山 そうですね。マネジメントの側面からいうと、トップの決断がなければ、ホンダジェットの成功はありえませんよね。もともと、航空機の開発は、宗一郎さんの夢でしたでしょ。でも、宗一郎さんの社長時代には、その夢はかなわなかった。ホンダが、ホンダジェットに直接つながる研究開発を開始するのは、1986年、3代目社長の久米是志さんの時代なんですね。
ーー『技術屋の王国』のなかには、「ホンダ4代目社長の川本信彦こそが、ホンダジェットの正真正銘の“生みの親”である」と書いてありますね。
片山 そうなんです。宗一郎さんの夢が一度、途切れたあと、再び空への夢を膨らませ、飛行機開発への挑戦を開始したのが、カワさん(川本信彦社長=現役社長時代からジャーナリストは〝カワさん″と親しみを込めて呼んでいた)なんですよね。つまり、航空機開発の“いい出しっぺ”が、久米社長時代、研究所の副社長を務めていたカワさんで、そこからホンダは、吉野浩行さん、福井威夫さん、伊東孝紳さんまで、久米さんから数えて5代に渡って、1円も利益を出さない航空機の開発を、30年間も継続することになります。今回、歴代社長のうち、川本さん、吉野さん、福井さん、伊東さんの4人には、改めて取材をお願いして話を聞きました。うち、福井さんを除く3人は、航空系の学科のご出身ですからね。ホンダと航空機のつながりは、浅くない。
みなさん、それぞれ、猛烈に熱くね、自分の思いを語ってくださいましたよね。航空機に対する“思い入れ”というのかな、熱意が、もうひしひしと伝わってきました。
というのは、それぞれの社長が、その時代時代に、航空機開発に関する大きな決断を下してきていますからねェ。
まず、カワさんは、前にいったように航空機開発の「開始」を決断しますよね。それから、当時本体の社長だった久米さんは、カワさんの基礎研(基礎技術開発センター=航空機開発の母体となった組織)設置の提案を、「いいよ」と二つ返事で承知する。これは、大きな決断なんですよね。これがなければ、ホンダジェットはないですから。吉野さんは、航空機開発「続行」の決断をしていますが、実質、航空機エンジンの事業化を決断したといっていいと思いますね。というのは、カワさんは、社長引退前の97年に、航空機と航空機エンジンの開発を公表した際、事業化について「予定されていない」「具体的な決定はない」としていた。
――つまり、航空機と航空機エンジンの開発は、そこで終わってもおかしくなかった。
片山 そう。ところが、吉野さんは、より高い目標を掲げて、継続を指示するんです。私は、ホンダの歴代社長には何度もインタビューしてきています。カワさんや福井さんなんて、現役時代に5回以上インタビューしているんじゃないかな。福井さんには、学習院女子大の客員教授をしているときにゲスト講師としてきてもらいましたが、その際、小型トラックで「アシモ」の原寸大の模型を持ってきてくれましたよ。その歴代社長のなかで、吉野さんってね、ちょっと毛色が違うんですよ。ほかの社長は、宗一郎さんを筆頭に、やんちゃ坊主のような人ばかりですが、吉野さんは一人、学者肌なんです。
でも、学者肌で冷めているかと思いきや、彼もまた、熱いホンダの男だったんですね。飛行機開発の夢を諦めることはしなかったわけです。
そして、福井さんは、航空機エンジン、そしてホンダジェットの事業化を決断します。
――経営者は孤独だとは、よくいわれることですが、福井さんのホンダジェット事業化決断のシーンは、それを象徴していますよね。
片山 2008年のリーマンショック後、伊東さんは、危機的経営状態のなかで、またまた航空機事業の継続を決断しています。
福井さんに限らず、ホンダジェットにまつわる経営判断を下してきた歴代社長は、それぞれ、決断の時は孤独だったと思いますよ。
ホンダジェットは、まさに、歴代社長のギリギリの決断の連続を経て生まれた奇跡なんです。ホンダジェットの技術は、確かにすごい。しかしそれが世に出たのは、トップの理解と決断があったからなんですよね。それは、意外と知られていませんよね。
※ホンダ4代目社長の川本信彦さん(左)と筆者(2016年1月14日撮影)
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