Loading...

経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

片山修のずたぶくろⅡ

経済ジャーナリスト 片山修が、
日々目にする種々雑多なメディアのなかから、
気になる話題をピックアップしてコメントします。

『技術屋の王国ーーホンダの不思議力』著者インタビュー5(最終回)

『技術屋の王国』の読み方 ポイント⑤ 王国の“ヌシ”たち

 

――『技術屋の王国』の本丸の話を聞かせてください。


(クリックでアマゾンのページにジャンプ)

片山 ホンダでは、いちばんエラいのは技術者だということはすでに触れました。本丸は、研究所ですよね。そこでは、技術者たちは、まさに“自由豁達”です。

もともと、創業者の宗一郎さんは、「バカヤロー」ってゲンコツを振り上げる人だった。さすがにいまの人たちは、手をあげることはないですが、“車体屋”と“エンジン屋”の間でケンカ腰の議論をするとか、デザインコンペで「つかみかからんばかりだった」なんて話はよく聞きましたよ。「会社を辞めろ!」といわれたとかね。

でも、“ワイガヤ”をはじめ、研究開発の段階では、互いに正直にいいたいことをいわないと、腹を割った議論にならないでしょう。ケンカ腰の議論があるからこそ、画期的な商品が生まれるんです。

―― ケンカ腰の議論ですか。

片山 そんなの、ホンダでは普通なんですよ。

そういえば、今回の取材中に、こんな話を聞きました。前社長の伊東孝紳さんと、航空機エンジンのトップをしていた窪田理さん(故人)は、同期入社です。伊東さんに、「窪田さんはどんな人でしたか」と尋ねたら、開口一番「あいつは、性格悪いよ」というんですね(笑)。

今度は、二人をよく知る人物に、「窪田さんは伊東さんのことを、どう思っていたんでしょう」と尋ねたところ、「窪田さんは伊東さんについて、『あいつは、技術もわかんねえくせに』と、ワルグチをいっていた」と(笑)。

―― それは、本気なんですか。

片山 知りませんよ(笑)。まあ、半分は冗談ですよね。腹の底では、相手を認めているからいえるんです。ホンダを取材していると、「○○さん(役員)は人相が悪い」とか、「タヌキだ」「変人だ」「腹黒い」なんて、上の人のことでも、平気でワルグチをいっているのを聞きますからね(笑)。

―― 一種の愛情表現でしょうか。

片山 そうそう。愛情の裏返し。そして、「タヌキ」も「変人」も、畏敬の念のこもった誉め言葉です。そういうワルグチをいわれる人こそ、技術屋の王国の“ヌシ”ですよ。

―― マネジメントの人たちは、よく、そんな“自由豁達”な王国をまとめていますね。

片山 そりゃぁ、マネジメントに携わる人たちこそ、大ダヌキなんですから。

もっとも、マネジメントも技術者出身ですから、理解がありますよ。印象的だったのは、4代目ホンダ社長の川本信彦さんのお話です。二階にあげてハシゴを外したあと、本人が「もう、降ろしてくれ」というまでは、やらせておくんだとおっしゃっていましたね。

「やらせてみて、ダメで、もう一回やらせてみて、またダメで、それでもやらせてみて、またダメでも、本人が『まだやります』といううちは、やらせておくんですよ」と。

成果主義がいわれ、仕事の成果が重視されがちな世の中ですが、研究者たちを成果でしばりあげるのではなく、本人がやりたいうちはやらせておく。そのくらいの余裕がなければ、大きなイノベーションは生まれないのかもしれませんね。ホンダジェットは、30年がかりだったわけですから。

―― 最後に、ホンダジェットの開発責任者である藤野道格さんについて、聞かせてください。

片山 そうですね。ホンダジェットは、何といっても、藤野さんですからね。

ホンダジェットは、主翼上面にエンジンを配置する画期的な設計、空気抵抗を減らす層流翼をはじめ、航空機業界の常識をひっくり返す、ものすごい飛行機です。それを開発し、世界的に高い評価を受けた天才技術者が、藤野さんです。

ただ、彼のすごいところは、技術者としてホンダジェットを設計し、開発したことだけではない。それを事業化、つまり市販するところまでもっていった。

ホンダにおいては、宗一郎さんをはじめ、航空機開発を指示した川本信彦さん以下、歴代社長にとっても、航空機は、「夢」であり「憧れ」だったんですよね。

ところが、藤野さんは、「売らなければ意味がない」と思い詰めて、事業化に執念を燃やすわけです。上層部を説得に説得して、事業化を決断させ、FAA(米連邦航空局)の型式証明も取得した。

ホンダの長年の「夢」「憧れ」を、“現実”に引き下ろして、つかみ取った。これは、本当に大変なことです。


※藤野道格さん(右)と著者。ホンダジェットの前で
(2015年12月8日撮影/ノースカロライナ州グリーンズボロ)

―― 藤野さんには、どこで会われたんですか。

片山 米国でもお会いしましたし、日本でもインタビューしました。

彼は大変忙しい人ですし、ほとんど米国なので、初めてお会いしたのは米国出張のとき、つまり2015年の年末でした。型式証明を、まさに取得した日で、アトランタのFAAの拠点で証明書を受け取ったあと、グリーンズボロにトンボ返りして、すぐに会ってくださいました。インタビューに加えて、工場内も自ら案内していただいた。

―― どのような印象をもたれましたか。

片山 じつは、藤野さんにお会いする前に、伊東孝紳前社長に、「今度、藤野さんに会うんですよ」と話したんです。そしたら、「1回会っただけでは、わからないよ」とおっしゃった。どういう意味かと、しばし考えましたよね。「何回か会って、深く付き合ってみないと、あいつの本当のすごさはわからない」とおっしゃるんです。

長くホンダジェットの取材をするうちに、藤野さんについて、いい話も、“策士”だなんていう評も耳にしましたよ。でも、本文にも書いた通り、お会いするとね、物腰が柔らかくて、素晴らしい人柄なんですよ。結局、会見も含めると3、4回は顔を合わせましたけど、最後までその印象です。本当にまっすぐな人だと思いましたね。

ただ、そういうと、「片山さんは、化かされている」なんていわれたりもしましたけどね(笑)。

とにかく、もの静かななかに秘めた、確固たる信念というか、強さを感じさせる人で、この強さが、ホンダジェットを実現した突破力を生んでいるんだなと感じました。

―― 藤野さんもまた、技術屋の王国の“ヌシ”ですね。

片山 そうですね。ワルグチも含めて、みんな王国の“ヌシ”たちを尊敬し、応援している。だからこそ、技術屋が思う存分に力をふるえる「技術屋の王国」が成り立っているんです。

<関連記事>
『技術屋の王国』の読み方 ポイント①“技術屋”の人生
『技術屋の王国』の読み方 ポイント②5代にわたる社長の決断
『技術屋の王国』の読み方 ポイント③ホンダは奇人・変人を生かす達人
『技術屋の王国』の読み方 ポイント④ブランドとは、「夢を託せること」

ページトップへ